なぜ3×5が二重に間違っていると私は考えるのか

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/
私は、皿に比率を積するほうがずっと文章の内容を自然に表した式と考えます。

「何を言うんだ、5だって、一つ分じゃないか。ほら、一つずつ皿にのせた場合、5つ載せると一巡する」
皿に1つずつりんごが載っている状態を1つ分と考えることは現実的ではありません。5皿に1つずつ載った状態を一つ分と考え、それが3つ分だと考えるなら、皿も15皿必要になります。
どちらかというとこれは割り算の考え方に近いです。

「違うって。皿に1つずつ、5皿分載せる作業を1つ分とするんだ。」
そしたら、1×3になりませんか?だって作業は回数であって、個数ではないですから。
1作業×3回=3回作業した あれ。聞かれていることと変わってきてますよ。答えが。

問題文には「1皿にリンゴが3個ずつ」とあります。すでにここからして”比率を用いた表現”であって、”同数の集合”表現ではありません。
これを3+3+3+3+3と主張したいのであれば、”整数被乗数と比率の積は、比率を整数被乗数の回数だけ加算したものに等しい”という別の主張が必要になります。
その主張が式の他に必要となるという点で不自然です。

また「”整数被乗数と比率の積は、比率を整数被乗数の回数だけ加算したものに等しい”という主張は、脳内で皿とリンゴの様子を思い浮かべれば、交換しても同じだと理解できるからいいじゃないか」と主張されるかもしれませんが、それなら「5皿それぞれにいっぺんに1つずつりんごを乗せる作業を思い浮かべ、5個リンゴを扱う作業が3回と理解するくらいいい」ですよね?

3x5の方が、文章が述べていることと式が述べていることの順序が逆だと、私は主張します。

逆にしてもいいとすることの弊害

* 倍の概念が育ちません
* 割り算の時にも引っかかりが出ます
* 計算に小数が入ってきたときにつまずきます
* 平均、単位量あたりの大きさでつまずきます

それにしても3x5を正解にすると、そのような弊害が起こると主張されますか。ふむ。


積を表す文章において、よっぽどのことがなければ、被乗数は先に現れます。

仮想問題1:5つの皿に3つずつりんごが載っています。りんごは全部でいくつですか?

これでも3x5ですか?では次の問題はどうでしょう。

仮想問題2:
a)5つの皿に3つずつりんごが載っています。りんごは全部でいくつですか?
b)4つずつりんごを載せたらりんご全部でいくつですか?
c)6つずつではどうですか?

どうですか?いちいち前のほうの数字を替えて3x5、4x5、6x5とするのは抵抗がありませんか?それに比べれば5x3、5x4、5x6と替えていくのはずっと抵抗感が小さいはずです。
そうです、前提となるもの、操作されるものは先に述べられ、それに作用するものが後から述べられる、これがごく自然なのです。

こうするとよりわかりやすくなるでしょう。足し算法を素直に適用して解けるでしょうか?

仮想問題3:
皿が12枚あります。3皿につきりんごを1個ずつつけます。
りんごは全部で何個あるでしょう。

そもそも論争を引き起こした問題そのものと表現が、比率そのもの……割り算にかなり近い要素を内包しているのではないでしょうか。

おそらく出題者は式の順序がちゃんとできるかをみる引掛け問題を出したつもりなのでしょうが、真に意味からして順序が逆の問題を作ってしまったけれど、それに気づけなかったんでしょうね。

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小学生が学ぶ可換な掛け算において積の順序を重視するのはナンセンスである上に、順序を重視するならむしろ5x3が正しく3x5が誤りという、二重の誤り。小学生はほんと大変だ。