鉄道ダイヤごと社会の生活リズムを前倒すべき

日本社会の生活リズムは、小さな要因は多々あれど、基本的には次に挙げる2つの大きな原因によって紡がれていると考える。太陽と鉄道ダイヤである。

ところがこの2つはかなりずれている。太陽が最も活発なのは、明石からの地理的なズレはあるだろうが(以降触れないこととする)概ね12時なのに対し、鉄道ダイヤの時間的中央値は午後三時頃ではないだろうか。

その結果、特に遠方の通勤通学客は始発乗車でないと間に合わないにもかかわらず定時帰宅には大分余裕があることが多い。というかそもそも典型的な就業就学時間自体が若干遅れている。九時始業の五時定時自体、時間の中央は午後一時と太陽南中時刻とはずれている。

その上に仕事がある日における遊楽の外出時間は、始業前ではなく終業後にとることが圧倒的に多いだろう。するとますます人々の生活リズムは太陽のリズムよりも遅れていく。午前八時出立で午後十時帰宅の場合、外出時間の中央は午後三時……先ほど挙げた鉄道ダイヤの中央とだいたい一致する。

そもそもの鉄道ダイヤ全体が遅いのである。

時間をかけて少しずつ、鉄道ダイヤを含め全て三時間前倒しにしていくとどうなるか。始発午前五時半で終電翌日零時半の鉄道は、始発午前二時半で終電午後九時半になる。午前八時から午後十時まで外出していた人は午前五時から午後七時までになる。

こうすれば日光を効率的に利用することができる。

そもそも夏などは涼しくかつ既に太陽が出て活動に十分な明かりが得られる午前四時半に多くの人が寝ているもったいない有り様であり、冬は午後四時半ごろまだまだ多くの人が定時をむかえていないのに既に日没である。農村の朝は早いなどというのではなく、都会が宵っ張りに過ぎるのである。

「時間早えよ」と感じるならば一度落ち着いて、その時間感覚自体が太陽に対して遅れていないか考え直してほしい。午後十一時就寝の午前七時起床自体、生活リズムの中央が午前と午後の三時である。生活リズムの真ん中が、太陽がだいぶ傾いたおやつの時間であり、日の出までそろそろの時間である。

サマータイム論との決定的な違いは、ひとつは時計自体は頑として動かさないことである。時間に関する規則の文言のうち、鉄道ダイヤ等の影響で定められている各種時間のほうをずらしていくのである。もうひとつは、季節とは無関係にずらしていき、目標の時間軸と合ったらそこで後退せず固定させることである。

文化的問題の一つは、食事のリズムを三時間前倒しすると、午前四時頃の未明食、午前九時頃の朝食、午後三時頃の夕食になることである。食事の時間について再考するいい機会であるかもしれない。