リンクはディープが作法

リンクはディープが作法である。

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リンクは可能な限り効率的であるべきである。

なぜか、一つ目はリンクは本文という単一のものに対して多数であることが殆どだからである。更にリンクからリンクを辿っていくと、最初のページから離れていくごとに基本的に指数関数的に増大していく。よってリンクは効率的でなければ事実上用を成さない。

二つ目は自己言及的でかなり卑怯ではあるが、参照を効率的にするための仕組みがリンクだからである。人類はなぜウェブにリンクというシステムを創造したのであろう、それは効率的に参照し合うためである。そもそもウェブそのものが情報伝達の効率化を目指して構築されたシステムであることを考えよ。またブラウズが流し読みするという意味であることも考えよ。

三つ目はリンクされる側が自発的に非効率化することは容易だからである。必要ならパスワードをかけたり、動的なURIにしたりすることができる。また自力でそういうことが達成できないのであれば、技術者を雇えば済む話である。非効率化が用意である以上、自然状態においてリンクを効率的とするほうが、非効率なものとするよりも人類全体の利益が莫大なのは、論を待たないほど明らかであろう。

殆どの人間は、リンクが浅いがために生じる手間に時間を費やすために生まれてきたわけではない。

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礼やマナーを以ってリンクはトップページにすべきであると主張する人々が散見される。しかしこれはおかしい。

礼やマナーとは何か考えよ。例えば礼 - Wikipediaでは

礼(れい)とは、さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。

またマナー - Wikipediaでは

マナー(manner)とは、(その)場で、あるいは社会全体で、居合わせた者あるいは構成員がそれに従って行動すれば、不必要な競争や、無駄な不快感を引き起こさない所作・振る舞い。その精神と形式。

URIは通常ツリー構造であるため、よほどの例外を除いて、ディープなURIから浅いURIに辿るのは機械的に容易である。しかしその逆は煩わしく手間がかかる。通常、読者にそのような不便を強いるのは無礼であろう。私は私のサイト訪問者にそのような不便を強いるような無礼な真似は可能な限り避ける。

それに被リンク側がどうしてもトップページなどを経由させたいのであれば、(通常のブラウジングに対して)強制的にトップページにリダイレクトさせることも技術的には容易である。

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WWW*1ディープリンクし合うために作られたのではないのかね?

*1:WWWは、双方向ではなく単方向のリンクを使用する。これにより、何らかの資源の所有者と連絡を取らなくてもリンクすることが可能となった。--World Wide Web - Wikipedia